東京IPO特別コラム:「多様性の光と影:日本」

~語られないものを視る眼~

「多様性の光と影:日本」

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日本のビジネスの場でも多様性がホットトピックになってきましたので、本稿は日本を中心に考えてみたいと思います。本来多様性には様々なジャンルがありますが、注目を集めるのが、性別、人種・民族、性指向*、宗教**でしょうか。ここでは性別、人種・民族を念頭に進めたいと思います。

多様な社会であることの主要なメリットは次の3点挙げられます。

1.「空気の支配」から合理性を解放する

「空気の支配」はよくないことでしょうか。それはまともな議論や反対意見を押し殺すという点、意思決定者の責任所在をあいまいにする点、言葉にしがたい内容に往々にして言葉にするにはあまりに幼稚、大人気ないことである点において大いなる弊害だと考えます。

「空気による支配」の失敗例として、太平洋戦争のインパール作戦をみましょう。既に日本軍の負けが込んでいた時期、ビルマからインドのインパールへ侵攻しようという作戦です。客観的には無茶なものと判断される代物でしたが、当の主唱者である牟田口軍司令官が熱くなりすぎ、直属の河辺方面軍司令官が人情論から擁護し、周囲も合理性より組織的融和を優先することとなり、大本営も現地軍がいうならと容認し、実施されてしまいました。

結果は予想通りの完敗であり、牟田口も河辺も作戦中止すべきと判断した時点でさえ、河辺は牟田口から中止の判断を下すまで中止命令を出すつもりはなく、牟田口も自分の顔色から察して、上司に中止といって欲しかったと甘えた考えでいました。そして無駄に時間が過ぎ、牟田口がようやく意を決して中止を河辺に提案すると、牟田口が自殺するのではないかと恐れた河辺が作戦継続を命令しました。ですが、それで戦況が好転するはずもなく、さらに時は過ぎてようやく中止されました。結果、投入人員数約10万のうち、戦死者3万、戦傷・戦病による後送2万、後送されない病人2万5千人以上という、無駄と呼ぶにはあまりに痛々しい犠牲を払いました。そして、その責任者である牟田口は軍司令官からは更迭されたものの、陸軍予科士官学校長に任命され、責任追及もあいまいでした。

対して、米海軍では太平洋艦隊司令長官を二人の提督に交替システムを導入し、作戦部員を前線の部員と一年前後で交替させていました。これは、有能な人材を同じポストに長期間置くとその知的エネルギーを枯渇させず、作戦策定に特定の個人のシミがつかせない効果をもたらしました。***

この差は合理性を人情論よりも優先できる組織か否かですが、多様なバッググラウンドの人々を束ねるのは、原則論や合理性に他ならず、10万人の命がかかる作戦に人情論が口を挟む隙はなくなります。

さらに、多様化社会では、「空気の支配」を異文化の人々が理解しがたいというもう一つの弊害を生みます。日本企業に勤める、或いは日本に長く住んでいる外国人の多くが指摘する日本社会の困る点の筆頭に挙がるのが、意思決定の場に呼んでもらえない、仲間外れにされるというものです。日本語が上手でも不得手でも、著者よりも中身が日本人的な外国人からでもこの話は聞きます。

著者が察するに、彼らはその場に呼んでもらえないのではなく、恐らくその場に呼ばれているのでしょう。しかし、彼らが想像する、決定者がその意思を明確にする意思決定の場ではなく、何となくその場の空気で反対意見がなかったから、各関係部署の意見を聞いた形が取れたから、等のあいまいな状態で結局YesかNoかよく分からない会議の一つにしか見えないのでしょう。(そして恐らく議事録も関係者全員に配布していないのでしょう)

言葉による表現がなくても多くを察し合える社会をハイコンテキスト(直訳すれば文化的文脈が多い)といいますが、このような社会は様々な要因が同一の環境下でしか存在しえません。そのため、いかに日本が好きで馴染んでいる外国人でも克服が難しく、大いなる参入障壁です。

特に欧米の人々は言葉を駆使することに誇りを持っています。例えば、旅行ガイドやメニューはまず言葉による説明ばかりで、写真等はありません。(中世ではポルノでさえラテン語で書かれていたという位ですから、かなりの筋金入りです)アジア人は写真があった方が分かりやすいと思いますが、言葉のみによる説明の方が高尚と思われているようです。逆に言えば、(言葉で)分かる者だけが分かれば良い、という思想が見え隠れします。マンガは欧米の若者に受け入れられていますが、高年層はそうではありません。

確かに、今まで不要な言葉を補うという行為は非常に骨の折れることです。言葉を尽くしても理解してもらえないことが多いですが、対策はただただ、相手のバックグラウンドを知り、言いたいこととのギャップを埋める以外にありません。

しかし、不要と思われていた言葉を補って話すようになることは、様々な思い込みや前提を壊すことに繋がり、全体の理解を深化させます。例えば、著者が約10名のグローバルチームでミーティングを主催したときのことです。英語の苦手な日本人メンバーが1名いました。最初はそのメンバーの貢献はペン、模造紙、セロテープをミーティングの場に持っていきセットアップすることでした。著者が書記を毎回外国人メンバーの1人にお願いしました。すると、日本人メンバーのみならずメンバー全員が板書内容をメモしていました。すると、日本人メンバーがそれをみて、英語が分かる人でも会議内容で理解していないことがあるということに気付きました。英語さえ分かれば会議内容が全てわかるはず、という思い込みが崩れたそうです。すると、少しずつ板書された内容について質問するようになり、3週間後には、外国人メンバーに背中を押され、他のメンバーに助けられながら日本人メンバーが書記を務めるまでになり、とてもよいチームワークが見られました。

2.海外の優秀な人材確保がしやすい

海外で野心的な若者が学校の卒業を控え、優良企業へ就職しようとします。通り一遍の企業情報のほかに、その若者は何を調べるでしょう?通常企業パンフレット等に載っている役員の写真を眺め、自分に似た顔(人種・民族、性別等)を探すのです。20、30年以内に役員に昇り積めたいと思えば、そこに自分と似たような顔がいればそれなりに見込みもありそうですが、例えば日本人男性ばかりであれば、敬遠、もしくは短期滞在した方が無難でしょう。

もしそこに自分と似たような顔を発見すれば、その方に何らかの方法で伝手を辿り連絡をとり、面談を申し込むでしょう。一方、連絡を受ける役員側としても、未来の自分の子分が増えるかもしれないので、可能な限り会おうとし、見所があれば入社できるように働きかけるでしょう。グローバル環境では往々にしてこのように自分の勢力圏を広げようと各自動きます。(逆に、そのような動きをしない原理主義者は、日本人とキューバ人くらい、と聞いたことがあります)

3.多様性が育む新陳代謝力は単一性の効率性に勝る

どの社会でも、常に現在の価値観や成功要因を覆す動き(新陳代謝)があり、社会はどんどん進化していきます。ただ、新陳代謝は、バックグラウンドに多様性があるほど、様々な角度からの見直しや才能や個性のシナジーの激流により、変化の大きさや頻度はよりダイナミックになり、世界の多くのエリアで受け入れられる可能性が高くなります。歴史的に見て、この新陳代謝力が、単一性を好み、変化を拒む社会の持つ効率性に勝ることが往々にしてあるようです。但し、この新陳代謝力を妨げ、硬直した社会になると、多様性社会でも、陰っていきます。

例えば、大航海時代のスペイン帝国は確かにイタリア人のコロンブスに船団を用意し、結果新大陸から莫大な富が流入しました。しかし、その富や帝国を管理・運営する官僚制度の確立ができず(事実スペイン帝国絶頂期のフェリペ2世の時代に破産宣告しています)、覇権はオランダに流れてしまいます。富の管理が得意な民族といえばユダヤ人ですが、スペインはカトリックを標榜し、レコンキスタ(イスラム教徒をイベリア半島より追放)運動完了時に非カトリックの人々を追放、或いは迫害したことがたたったのでした。

一方、オランダはプロテスタント国であり、宗教の自由がありました。ここに、イベリア半島から追放され、イタリアや中東に逃げていたユダヤ人がアムステルダムへ向かいました。戦争をすればユダヤの高利貸しに借り、首が回らなくなればユダヤというだけの理由で殺してしまうヨーロッパの王族が多い中、オランダはユダヤ人にとり天国のような地となり、貿易・金融大国として大繁栄します。

他にも、江戸幕府や大清帝国は新規技術の芽を摘んでいた(軍事上の優位性を保つため徳川幕府は500石以上の船の造船等を禁止しましたし、国内産業の雇用喪失による組合の反対を恐れた清ではイギリスの紡織機械導入案に反対しました)結果、列強諸国に屈しました。ナチスドイツもアーリア人の純血に固執し、アインシュタイン始めユダヤ人等多くの頭脳流出を許した結果、その頭脳流出先のアメリカに敗北しました。ドイツは世界で初めて核分裂に成功し、ナチスもその軍事利用に目をつけていました。もしユダヤ人迫害がなく、ユダヤ系学者を追放しなかったら、ドイツがアメリカよりも早く原子力爆弾を完成させ、世界の歴史は変わっていたかもしれません。

昨今日本で言われている多様性は一時のトレンドのように聞こえもしますが、本当は真剣に検討すべき課題だと思います。確かに、説明事項はたくさんありますし、ミスコミュニケーションリスクはありますし、合意に至るまで今まで以上に時間がかかるかもしれません。しかし、重苦しい「空気の支配」から脱却することにより、より合理的な判断を組織的に下せるようになりますし、優秀な頭脳を呼び寄せ、より大きな繁栄に繋がる可能性が高くなると考えられます。今こそ多様化社会に本腰を入れてほしいと思います。

*ユダヤ教、キリスト教、イスラム教で同性愛が「罪」として禁止されていますので、本来大きなテーマですが、日本の場合大方そのような見方ではなく好奇な偏見が主体と思います。そのため、以下の通り理解すればよいと思います。即ち、食物連鎖の頂点にたつヒトが増えすぎないための自然の摂理として、約1割が同性愛となります。事実江戸時代まで陰間茶屋等が存在し、同性愛は社会的に公認されていました。しかし、明治時代に入り、西洋人より同性愛が望ましくないという価値観が輸入され、今日に至ります。そのため、実質江戸時代以前の価値観を取り戻そうということなのです。

少し脱線しますが、欧米での不文律として次の同性愛者のヒントは知っておくとよいかもしれません。一般的に男性同性愛者は、ぴっちりした(体のラインが見える)服装をし、身奇麗かつ美男の可能性が高いです。(日本人男性でおしゃれな服装(特に私服)をしていると間違われることがよくありますので、ご用心。)一方、女性同性愛者はショートヘアでボーイッシュの可能性が高いです。(男性の気を引く気はありません、ということですね)

**宗教については、別途まとめて書きたいと思います。

***インパール作戦その他太平洋戦争中の「空気の支配」の失敗例は戸部良一他著「失敗の本質 日本軍の組織論的研究」参照。(名著です)

 

 

本コラムの執筆者================================

吉川 由紀枝

ライシャワーセンター アジャンクトフェロー

プロフィール:

慶応義塾大学商学部卒業。アンダーセンコンサルティング(現アクセンチュア)東京事務所にて通信・放送業界の顧客管理、請求管理等に関するコンサルティングに従事。

2005年米国コロンビア大学国際関係・公共政策大学院にて修士号取得後、ビジティングリサーチアソシエイト、上級研究員をへて2011年1月より現職。

また、2012-14年に沖縄県知事公室地域安全政策課に招聘され、普天間飛行場移転問題、グローバル人材育成政策立案に携わる。

 


 

※当文章は著者の個人的見解であり、所属団体の意見を反映したものではありません。