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短絡的な増配は、経営者の逃避行動では?
  株式会社ティー・アイ・ダヴリュ ジェネラルパートナー 藤根靖晃
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先週金曜日の日経新聞マーケット面のコラム「大機小機」に興味深い主張が見受けられた。要約すると次のような内容である。「会社の経営目的は会社によってそれぞれであり、株主価値の最大化のみを経営目標としている、ということは決してない。欧米社会のように投資者イコール市民社会と想定するのであれば、評価するのは市民社会であり、営利追求の会社もあれば公益目的の会社もある。」近年の偏った米国型株主賛歌に対する批判であるが、小生も同じような意見だ。

株主還元要求の高まりによる企業の配当行動や敵対的買収に対する毒薬条項の設置等を見るに付け、企業の経営目的(むしろ信念のようなもの)が抜け落ちているような気がしてならない。キャッシュリッチでない会社が、エクイティファイナンスを視野に、株価上昇を狙って配当を行う。現預金を使わないと投資家からの圧力が強まることを理由にM&Aを行う。敵対的買収とは何か?という定義もあいまいなまま毒薬条項だけが盛り込まれてゆく。

「自分達は何を目的とし、何に責務を負い、そしてそれを理解してもらえる誰に株主になって欲しい」という哲学そのものとその実行が殆どの企業で欠如していると思われて仕方ない。これは、企業サイドだけの問題ではない。投資家の側も「投資」が持っている社会的責任という側面を意識していない。

機関投資家は、或る期間内のリターンを最大化することを目的にするのであるが、経験と努力によって築きあげたスタイル(=哲学)を持たないのであるなら、本来あるべき企業経営に無用な圧力を加えることによって、結果的には有害な敵対的買収者と何ら変らない可能性があるだろう。運用資産残高を競うがためにファッション(ファンド出資者を集めやすい商品性のみ)を追求するのであれば、企業経営もまたファッションに流される可能性がある。投資家は掌を返して株を売れば終わりだが、ファッションに流された企業は瀕死の瀬戸際でもがき続けなければならない。4〜5年前にアナリストや機関投資家が絶賛していた大手電機メーカーがその象徴であろう。

何故、配当を増やさねばならないのか?企業はもっと自問してみる必要がある。企業業績が好転しているのに何故、株価が上がらないのか?景気が不透明だから?では景気を良くするにはどうしたらいいか?配当金を増やしたほうがいいのか?それとも従業員のボーナスを増やした方がいいのか?取引先にも十分な利益を確保させて育てるのがいいのか?

その答えは、その企業の事業領域、グローバル化の度合い、ステークホルダーの構造によってまちまちであり、一律には論じられない。かつてHOYA(7741)は、「ROEは結果であり目標ではない」と主張し、投資家のヒンシュクを買った時期もあった。信念ある経営は結果によってその正しさを証明すれば良い。

増配=是という議論の中では、労働分配率の低下と株主還元(増配)の拡大は、結果的に“富の偏在化”を長期的には齎す可能性があることが何故か議題に上がらない。“一億、総中流”というのは非効率なだけの幻想であったとしても、米国のように貧富の差が大きく開いてしまう社会を殆どの人はまだ容認していないだろう。持てるものがより豊かに、持たざるものがより多くを奪われる社会は、社会秩序の崩壊と治安の一層の悪化を招きはしないだろうか?

国内景気の本格浮揚を目指すのであれば、配当性向の上昇よりも労働分配率を向上させる方向に向けるべきでははいだろうか。勿論、個々の企業の置かれた環境による。国内個人消費に支えられている企業にはこうした視点も必要ではないだろうか?同業他社が増配したから自社も増配しなければ、というような考え方は伝統的な横並び構造の踏襲でしかない。

経営者には本当に勇気が必要だ。短絡的な株主主義は社会的責任からの経営の逃避ではないだろうか。

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