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2007. 7. 2 No.512



『年金問題の責任の行方はどこに』 

 

年金問題で社会保険庁の長官から総理、厚生労働大臣まで賞与の一部を返上するらしい。

何か問題が起こったときに、日本人はケジメというものを好むとは言え、今回のように詳しい事情まで承知していない現職の人が責任を求められるがまま責任をとることは何かおかしいのではないだろうか。

大臣などの議員職にある人は月末に参議院選挙を控えて、国民の人気取りのためには已む無しと言ったところだろう。

昨日の朝のテレビで「責任の行方」という言葉が使われていた。

問題が起こると責任を誰かが取らなくてはならないのは確かだが、そんな責任よりも大切なことは問題解決への対策であるはずだ。

その問題が難しいほど責任問題が浮上してくる。

なぜだろうか?

たぶん、問題解決が容易でないため、責任を誰かがとることによって、その問題に蓋をしてしまうことによって終結を図ろうとしているのではないだろうか。

あまり例に出すのは良くないが、国会議員の経費問題も某現職大臣の自殺で幕引きとなった。 本件に関してはその後国会の場でも議論されなくなってしまった。

でも事の本質はそのまま放置されてしまっていることは明白な事実である。

今日までの国の問題解決への対応を見ていると、政治家に問題解決を期待するのは無理だと考える国民は多いのではないだろうか。

内閣改造になれば大臣はその職位を失い、選挙で負ければすべてを無くす。

国という長い時間軸で物事を考えなければならない立場にいる人が、ある日突然すべての力を無くしてしまう仕組みをベースにして仕事をしているのであるからまったく頼りないとしか言いようがない。

それはキャリアの官僚にしてもしかりである。同じポストに2年しか座らない人に長期的な視点で国の仕事を任していいのだろうか。

何年か先には日本の年金制度は崩壊してしまうのではないかと危惧している人が多いと思われるが、今回の年金の記録問題はそれに拍車をかけるような話ではないだろうか。

今回の年金問題は、ますます年金には頼れないという思いが増しただけだ。

とは言え、我々国民は政治や政治家に対して怒りをぶつけてみても、何も意味のないことである。

たとえ政治家を変えてみたところで、結果は何も変わらないのではないだろうか。

ではどうすればいいのだろうか。

株式投資の世界は「自己責任」という良い言葉がある。

こんな国にしてしまったのも我々国民の責任であると考えれば、これからは自分で自分の将来を切り開くしかないと考えたほうがいいだろう。

年金として支払ったお金はぐるりと回って自分に帰ってくる。でも、それはキャッシュという形ではないかもしれない。

つまり年金とは名を変えた税金でしかない。

今回おおやけになった年金問題の責任の行方は最終的には国民一人一人にあるということではないだろうか。

 

 

 

 

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東京IPO編集長 西堀敬  column@tokyoipo.com