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2007. 9.12 No.532



『ウィンブルドンにもなれない日本 』 

 

テニスのメッカと呼ばれているイギリスのウィンブルドン。

伝統あるウィンブルドン選手権では世界から参加者が集まるために強豪が出揃い、開催地イギリスの選手が、勝ち上がれなくなってしまった。

市場経済のグローバル化が進み、市場そのものは隆盛を続ける一方で、元々その場にいて「本来は地元の利を得られるはずの者」が敗れ、退出する、あるいは買収されたりするときにウィンブルドン現象という言葉が最近では使われている。

この言葉がぴったりの現象が日本でも起こっている。

ひとつが、株式市場である。

今更言うまでもないが、外国人投資家の売買が6割を占めるまでになった。

この外国人投資家が売りに傾いたことが今回の株価急落に繋がっているのである。

日本の上場企業がグローバルに評価される対象になったことは非常に嬉しい話でもあるが、もはや日本人投資家の尺度だけで株価を動かせないようになってしまったのである。

次にスポーツ。

まずは柔道。

国際柔道連盟の理事から日本人が居なくなってしまった。

日本のスポーツがオリンピックの競技種目になったところまでは良かったが、日本で生まれた柔道というスポーツの理念や精神が失われないかと危惧する日本の柔道関係者の人も多いのではないだろうか。

今回のことで柔道はもはや日本がリードできるスポーツではなくなってしまい、発祥の地の権威はもはや存在しなくなってしまった。

そして相撲。

番付の横綱と三役(大関、関脇、小結)の力士10名の国籍は、日本5人、モンゴル4人、ブルガリア1人となっている。

ご存知のとおりトップの横綱二人はモンゴル人である。

相撲の開催場所は日本国内に限定されており、まさにテニスのウィンブルドンそのものである。

横綱朝青龍の問題では、かたくなに権威を守ろうとする日本相撲協会であるが、守りすぎてその権威が崩れつつあるようにも見える。

株式市場が外国人の手に委ねられてしまったといっても、外国人の姿・形が見えるわけではなく、ピンと来ない人も多いかもしれない。日本国民が外国人投資家の姿を最近見たのは、スティールパートナーズのリヒテンシュタイン代表くらいなものではないだろうか。

しかしながら相撲となるとすべての取り組みがテレビ放映され、土俵の上では外国人力士が活躍する様を我々は目の当たりにしている。外国人が力士として存在しなければ相撲も成り立たなくなってきているということをすでに我々は良く理解しているわけである。

一方、柔道に至っては、国際大会で日本人が外国人の腕力に押し倒されて敗退する様を良く見かけるようになった。「柔よく剛を制す」という相手の力を利用して相手を制する、つまり小さい者でも大きな者を倒すことができるという柔道の基本理念からは遠ざかっているかもしれないが、国際規格が出来上がった柔道の世界ではそれは日本が生んだ柔道ではないとは言えない。

こうして見ると、スポーツの世界においても日本発のスポーツがその発祥の地の価値観を引き継ぐのが難しくなってきている。

最後の砦であった相撲も外国人力士の活躍で外圧がかかり、日本人の価値観を主張するようなナショナリズム的発想を前面に出すと諸外国との付き合いにおいて軋轢を生じることになりそうな雰囲気を感じる。

日本株は世界経済の景気敏感株だと言われているが、スポーツはもちろんのこと政治においても海外の動きにより敏感にならなければならなくなってきた。

日本にウィンブルドン現象が起こるならいいが、ウィンブルドンにもなれない日本にならないように我々は常日頃から海外に目を向ける必要があるだろう。

柔道界と相撲界の動きを追っているだけでもその危惧が大きくなっていくような気がしてならないのは私だけだろうか。

 

 

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東京IPO編集長 西堀敬  column@tokyoipo.com