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東京IPO特別コラム:「歴史の重み:アメリカの財閥と外交」

〜語られないものを視る眼〜


「歴史の重み:アメリカの財閥と外交」


財閥と政界の癒着構造

以前大英帝国の繁栄の稿でイギリスは膨大な海外投資をし、富を得続けたというお話をしました。その重要な海外投資先がアメリカでした。また、前回お話しました通り、移民はどんどん流れてきます。つまり、経済学の教科書風に言えば、
アメリカ = 人口増 + 海外資本・技術 + 新大陸の豊富な未開拓資源
という状態ですから、経済学の教科書では理想的な経済発展の構成要素が揃っており、発展しない方がおかしいことになります。ちなみに、英語ではこうしたアメリカをPeople of Plenty(持てる人々)という言い方をします。

事実、イギリスの金融街の王者ロスチャイルド家の代理人、J・P・モルガンJr等がアメリカで金融、鉄道、海運、製鉄等多くの産業に投資しました。モルガンは、「鉄道王」と言われるくらいグレート・ノーザン、ノーザン・パシフィック等鉄道会社を多く買収した他、電話のAT&T、全国の水道会社を買収し、カーネギーの鉄鋼会社を買収した上で業界再編しUSスチールを創設し、タイタニック号で有名な船会社にも出資し、今を時めくテスラ社の名の由来である天才科学者の二コラ・テスラに出資し、ゼネラル・エレクトリック(電気事業)を創設し、アメリカ最大の財閥を築きました。

こうした一部の人間だけが異様に富を蓄積するには、往々にして仕掛けがあります。上記の等式に含まれていない、未熟な政府がその仕掛けです。すなわち、政府高官や議員を買収し、公有地の資源や事業の独占権を破格の格安で購入し、税法を未整備か不完全なものとし続けるわけです。アメリカ史の大家、モリソン博士は述べます。「何百万ドルもの価値がある独占権を無料で特定も業者に与え、その結果、都市はいつまでたっても、舗装されず、街灯がつかず、警察力も不十分という状態であった。」*加えて、J・P・モルガンJrが存命中は所得税さえありませんでした。(成立不可能でした)

特に当時、鉄道事業は経済の生命線ともいえました。19世紀NY株式市場の時価総額の6割程度は鉄道株といいます。モリソン博士は続けます。「鉄道会社は、ほんのわずか貨物料金を手加減するだけで、一つの産業あるいは一つの地域社会の運命を決定することができたのである」*モルガン財閥、恐るべしです。

建国の父の一人、ベンジャミン・フランクリンの語った節制や勤勉といった美徳はいつのまにか忘れられ、こうしたスーパー・リッチ(現代ではトップ1%とも言います)は「泥棒男爵」と呼ばれ、極端な拝金主義が蔓延していきます。こうした世相を、1873年マーク・トーウェンがチャールズ・ウォーナーとの共著の「金ぴか時代」という小説でいみじくも活写しています。思わず笑ってしまうくらい、登場人物が混交玉石な儲け話を考えてはいろんな人に話し、騙し騙され、儲け話を実現するために買収が横行する世界です。(馬鹿馬鹿しさの点では、井原西鶴の「日本永代蔵」を越えるかもしれません。)

こうした政府の腐敗は、在任期間史上最短のハリソン大統領(1841年在任)の言葉に凝縮されています。「私が権力を握ったときには、既に党のボスたちが自分たちで全部分けてしまっており、私は自分の閣僚でさえ指名できなかった。選挙費用を捻出するために彼らが官職を全部売り払っていたのだ。」**そして1881年官職に付けないことを恨んだ党員がガーフィールド大統領を射殺するに至り、2年後のペンドルトン法によって公務員制度の改革が行われ、いわゆる猟官制度(スポイルズ・システム)に制限が加えられました。しかし、政治家は収入源を補おうと、実業界にますます群がっていくことになります。

外交は国内政治のツケ

さて、実業界が政治家を飼う理由はただ一つ、利益創出です。利益を生み出すための成長源を政治の力で作る手法で最も手っ取り早いのは、国土拡大です。以前お話しましたアメリカ・メキシコ戦争が最初の事例でしょう。当時メキシコの領土であったテキサス周辺にアメリカ人が入植し、勝手に独立宣言を出し(テキサス共和国)、それをメキシコ未承認のままアメリカが併合したことに契機に始まり、西海岸までのカリフォルニア州等を獲得しました。

次に、19世紀末輸出品が農産物から工業製品に転換期を迎え、アメリカの工業製品を買ってくれる途上国市場を求めるようになりました。戦前の日本が未熟な工業製品を輸出するための市場を満州等に求めたのと同じです。実業界の要望を受け、落ち目のスペインと戦争しました。アメリカが「素晴らしい小さな戦争」と呼んだ、1898年の米西戦争によってキューバは放棄され(アメリカの勢力下に移行)、アメリカはプエルト・リコ、グアム、フィリピンを取得しました。おまけにこの頃ハワイも併合しています。

さらに、キューバ、パナマ、ニカラグア、ドミニカ、メキシコ、ハイチにも侵攻します。パナマ侵攻の経緯はこうです。「米西戦争の成果を継承したセオドア・ルーズベルトは、「大きなこん棒を携え、穏やかに話せ」をモットーに、カリブ海諸国に対して積極的に介入した。カリブ海から太平洋をつなぐ運河を建設することが彼の野心だった。彼はパナマ地域を領有するコロンビア政府との交渉がこじれるとパナマ独立運動と結んだ。そして反乱がおきると、直ちに海兵隊を派遣し、パナマを保護下において、その独立を承認した。こうして合衆国はパナマ政府から運河地帯の永久租借権を得た。」**

少々脱線しますが、最近似たような話を報道で見ませんか?アメリカをロシアに、コロンビア政府をウクライナに、パナマ独立運動を親ロ勢力に読み替えれば、まさに瓜二つです。100年以上前からの手垢のついた手口です。

興味深いことに、ロシア人はアメリカの横暴を暴き非難する形をとる代わりに、アメリカの横暴をそっくり真似てその横暴さを思い知らせようとする癖があるようです。恐らくロシアがアメリカからの反論として引き出したい言葉は、「そこは俺の裏庭だ(からやっても許される)」でしょう。アメリカがパナマや中南米を裏庭と思っているように、ロシアもウクライナを裏庭だと言いたいのでしょう。但し、今回の件でコロンビアとパナマの人々以外にパナマ侵攻を何人想起するかは分かりませんが。。。

ちなみに、過去にもアメリカとソ連で同じような事件がありました。キューバ危機です。世の中的にはソ連のキューバへの核配備計画の部分のみがよく知られていますが、実はその前にNATO側がトルコに中距離弾道ミサイルをこっそり配備したため、ソ連は声高にNATOを非難する代わりに、キューバに核ミサイルを配備することで、のど元にナイフを突きつけられるとどのような思いがするのかをアメリカに理解させようとしました。当然米ソ間でトルコからのミサイル撤退と引き換えにキューバからの核撤退が取引され、危機は回避されました。

話をセオドア・ルーズベルト政権に戻しましょう。この政権は露骨な軍事力以外にも財力も利用しました。ドミニカの場合はヨーロッパからの借金をアメリカが肩代わりし、主要国家財源である税関収入をアメリカ(の民間銀行)の管理下に置き、回収しました。後継のタフト政権のいわゆる「ドル外交」の初期形態です。タフト政権は、「弾丸に代えるにドルをもってする」として、中南米の他にアジア、特に中国にも食指を動かします。「アメリカ政府の指導でアメリカ銀行団を作り、それが国際銀行団に参加し、国際借款団が清朝と交渉して国際借款協定を結び、中国の鉄道建設、幣制改革、満州開発等の事業に投資」***したのでした。

少々脱線しますが、セオドア・ルーズベルト大統領は日露戦争時の仲介役を務めたことでも知られています。この頃は判官贔屓(アメリカ人的には旧約聖書のダビデとゴリアテに例えた方がいいかもしれませんが)で、強いロシア帝国(ゴリアテ)に立ち向かったひよっ子日本(ダビデ)にアメリカ世論は好意的でしたが、一度ロシアに勝ってしまうと、アメリカは急に日本に対し警戒心を高めます。この辺りは非常に先見の明があります。

そこで、ハーバード大学が日本研究に着手することになり、その教授役に白羽の矢が当たったのが、エルセーエフという旧ロシア貴族でした。ロシア革命後日本に亡命し、日本に造詣の深い高等遊民(日本舞踊で女役もやっていた時の写真も残っています)から、ハーバード大学日本学の祖に華麗なる転身を遂げました。その教え子の一人が、ライシャワー元大使です。

この御仁、調べてみると面白いエピソードが色々出てくるのですが、一つだけご紹介しましょう。太平洋戦争時ハーバード大学の日本学の教授・学徒たちは対日戦に協力するのですが、東京を空襲する場所を特定する際に、神田古本街を外させました。理由は、戦後そこに古本を買いに行きたいから。事実、戦後ハーバード大学の潤沢な予算を使い相当買い込んだらしく、当時ハーバード・インフレを一人で発生させていたそうです。。。

モンロー主義

さて、アメリカは実業界に求められるままに戦争を繰り返してきたのかといえば、ヨーロッパ諸国間の戦争における一駒として戦争をした時代もあります。以前建国時にスペイン、フランス、イギリスがアメリカ大陸にそれぞれ植民地を持っていたとお話ししました。そのため、1783年建国以前から、ヨーロッパのこれらの諸国が戦うたびに波及効果のように戦争が発生しました。(その逆もあり)

例えば、スペイン継承戦争が起これば、アメリカでは「アン女王の戦争」となり、オーストリア継承戦争が起これば、「ジョージ王の戦争」となりました。また、ヴァージニア人とフランスがフレンチ・アンド・インディアン戦争を起こせば、本国同士の戦いとなり、七年戦争に発展しました。ナポレオン戦争中、イギリスが敵国商品を積んだアメリカ商船を拿捕し、船員を強制連行する事件が頻発すれば、米英間の良好な関係が悪化し、第二次米英戦争に発展しました。この際、ホワイトハウスが焼き討ちに遭うという事態になりましたが、ナポレオンが失脚すれば、すぐに講和条約が成立しました。

こうした背景から、モンロー大統領はヨーロッパ諸国にこれ以上アメリカ大陸での植民地を作らない、旧世界と新世界の相互不干渉を求める外交政策を打ち出したのでした。(モンロー主義)この思想が、アメリカの経済力が増すにつれ、セオドア・ルーズベルト大統領のような、ヨーロッパ諸国の介入を許さず、アメリカのみ中南米へ介入するという方向に発展したのでした。

とはいえ、アメリカは世界最大の経済国となり、世界中に商船を繰り出せば、各地でヨーロッパ列強と利害の衝突や調整が起こるようになります。例えば、中国市場への参入が後発だったアメリカは、「門戸開放宣言」を発し、ヨーロッパからの締め出しに抵抗しました。また、アメリカがヨーロッパ事情に介入しないということが難しくなっていきます。そうした状態で第一次世界大戦を迎えることになります。
*サミュエル・モリソン著「アメリカの歴史」2巻
**野村達朗著「フロンティアと摩天楼」
***野村達朗編著「アメリカ合衆国の歴史」

 

 

本コラムの執筆者================================

吉川 由紀枝

ライシャワーセンター アジャンクトフェロー

プロフィール:

慶応義塾大学商学部卒業。アンダーセンコンサルティング(現アクセンチュア)東京事務所にて通信・放送業界の顧客管理、請求管理等に関するコンサルティングに従事。

2005年米国コロンビア大学国際関係・公共政策大学院にて修士号取得後、ビジティングリサーチアソシエイト、上級研究員をへて2011年1月より現職。

また、2012-14年に沖縄県知事公室地域安全政策課に招聘され、普天間飛行場移転問題、グローバル人材育成政策立案に携わる。

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※当文章は著者の個人的見解であり、所属団体の意見を反映したものではありません。