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東京IPO特別コラム:「終戦の日に考える:敗戦を二度と経験しないための教訓」

〜語られないものを視る眼〜


「終戦の日に考える:敗戦を二度と経験しないための教訓」


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310万と2000万という数字を聞いたら、何を思い浮かべますか?これらは、日中・太平洋戦争で亡くなった日本人(軍民)及び諸外国人の数です。*目を覆いたくなるような、甚大な命の喪失でした。終戦の日に接するにあたり、二度とこのような惨事が起きないよう、何を学ぶべきかを考えてみたいと思います。

学校で教わる教訓は、戦争反対、原爆(・核兵器)反対です。しかし、本当にそれだけなのでしょうか?小学校レベルならいざ知らず、いつまでたっても、そこで思考を止めてしまっていいものでしょうか?2000万人以上の御霊に失礼だと思うのです。既に様々な学者や文筆家が戦争の原因や教訓を語ってきました。歴史を順々に追っていけば、山のようにあるのは承知していますが、ここでは主な3点に絞って書いていきたいと思います。

失敗の原因
1) 国際情勢を見誤ったこと

後知恵的な見方を含め、何度も国際情勢を見誤っていたのですが、一番唖然とするのは、「欧州情勢は複雑怪奇なり」という言葉を残して退陣した平沼騏一郎首相でしょうか。いくらヒトラー総統が日独伊防共協定を無視し、突然独ソ不可侵条約を結んだからといって、イタリアを含め政権を投げ出した国家元首はいません。(他の理由があったとしても、そんな理由を公の口実にしないことです。)そのタイミングで日本が防共協定を破棄し、ドイツと距離を置いておけば、まだ交渉の余地もあったことでしょう。ましてや、日独伊三国同盟締結は論外です。言動不一致で信用できない男と運命を共にするなど、あり得ません。

加えて、開戦が大方決まった1941年10月時点で、アメリカは武器貸与法を成立(1941年3月)させ、イギリスや連合国へ武器、食料その他救援物資の供与を始め、ドイツはロンドン空襲に失敗し(同年5月)、ソ連に戦争を仕掛け(同年6月)、イタリアは緒戦の成功以降失敗続きで既にドイツのお荷物(1940年12月〜)でした。すなわち、二正面戦争というドイツの手に負えない戦域拡大と、アメリカの豊富な物資の連合国への流入が始まっており、第一次世界大戦でのドイツ敗北要因がほぼ出揃っていました。(残るは米兵参加)

しかし、そうしなかった理由には陸軍軍人のドイツ留学生を中心にヒトラー政権下での工業力の盛り返しの勢いや第二次世界大戦初期の勝利に幻惑された人々がいました。欧米大国の国力比較をまともにせずに、「バスに乗り遅れるな」とばかりに、バスの行先も見ずに破滅への道に日本を乗せてしまいました。(そして、今また中国の台頭の勢いを見て、アメリカの時代は終わりでこれからは中国の時代という人々がいます。デジャヴ(既視感)と視るのは、著者だけでしょうか。)

日中戦争時に中国の奥地で日本兵が見たものは、イエズス会等から派遣された欧米の修道士が孤児院や病院を建て、地域社会に奉仕していた姿でした。日本国内では欧米がアジアを搾取し、日本はこれを懲らしめるアジアの盟主だと言われていたのに、全く逆の姿をそこに見たのでした。自分たちは全く何も分かっていなかった、本来アジアの盟主であるなら、中国人を殺戮するのではなく、欧米の修道士のように助けるべきではないのか、と反省していました。(その後、中国の実態を描いた、火野葦平の「麦と兵隊」やパール・バックの「大地」等の小説が評価されました)**

上辺の情報しか見えないようでは、国の未来が危ぶまれます。

2) 自国力を見誤ったこと

日米間で圧倒的に経済力に差があったことはよく指摘されるところです。例えば、1938年に鉄鋼生産量では、日本が700万トンに対し、アメリカが2,880万トン、エネルギー消費量では、日本が96.5に対し、アメリカが697、1900年のイギリスを100とした場合の工業力では、日本が88に対し、528です。***勝ち目のない、無謀な話です。

加えて、対中政策に関しても、出口戦略が全く描かれていませんでした。当時中国内で最大の勢力であった蒋介石政権を相手とせずと言ってしまったら、戦争の終わりようがありません。当時5億人といわれた中国人をすべて敵に回すということに外ならず、100万人程度の人数であの広大な土地を掌握することは無理です。戦闘そのもので勝ったとしても、戦略負けなのです。日本に勝ち目があるとすれば、もう区的と相手を限定し、短期戦で有利な講和条件を引き出すことくらいです。

自国の力をよく把握せねば、勝てる戦い方は分かりません。

3) 軍国主義の席巻を許し、他の意見を封鎖したこと

当時、1億人もの日本人全員が上記事実に気付かなかったはずはありません。しかし、軍部は聞く耳を持ちませんでした。しかも、石原莞爾等による満州事変以降、陸軍も海軍も凡庸な中間管理職クラス(全体を理解する能力がないのに、他人の業績を人一倍妬み、真似たがる、一番厄介な輩です。。。)がそれぞれ野放図に手柄を求め、かつ両者間で調整や協調もできないという、国軍の体をなさないほど統率がとれていませんでした。(陸軍で潜水艦を独自開発するほど、相互不信感に満ちた縦割り行政です。。。)

軍の暴走を止められるのは軍最高司令官の昭和天皇しかいませんでしたが、木戸幸一内大臣が天皇の政治利用だとして阻止したため撤収勅令を出せず、かといって軍中央にいる陸軍・海軍大臣、将軍クラスは皆リーダーシップがなく現状追認するしかない状態であったのも情けない限りでした。犬養毅首相のような強力なリーダーシップを発揮できる政治家が暗殺されて以降、内閣も軍部の意向に右往左往し、短命内閣が生まれては倒れる始末でした。

言論統制が強化され、隣組という相互監視(密告)制度がはびこっていきました。ただでさえ同調圧力の強い日本社会でこうなってしまっては、国の行く末を自由に議論できる状況ではなく、精神論が幅を利かせていきました。精神論という思考停止の果ては、竹槍の訓練(種子島伝来前に退化)、ぜいたく禁止(女性が口紅をやめることで戦局が変わりますか?隣組の中高年主婦が喜んで若くてきれいな女性をいじめただけでした)、敵国用語の使用禁止(用語は全て漢字に転換するだけで欧米発祥の野球の継続はおかしくありませんか?)、等々。。。

精神論というものは、やるべき準備を全てやり終えた上で、組織の末端にまで気持ちを引き締める程度の意味しかありません。目的もなく、勝つ見込みもなく、全体統率もなく、出口戦略もなく、兵士の戦死数よりも餓死数が多い状況を作り出すほど兵站もいい加減な状況では、真剣に受け取りようがありません。一般市民が白けるほど精神論が喧しく叫ばれ、結局形式的な服従か何も考えない機械的な服従が蔓延し、企画側でない人の率先した服従があるとしたら日頃妬んでいた周囲の人をいじめて喜ぶ人間の醜さの故でした。

少々脱線しますが、この白けた雰囲気がコロナ禍の今日にも当てはまるように思います。大本営(官邸)から、ワクチン接種率がどの程度に達成したら通常に戻せるのか等コロナ禍収束に向けたロードマップが提示されず、医療現場の逼迫と言い続けながら、大病院への過度な集中緩和に向けた措置が何も取られず(地方自治体の方が部分的に成功しているようですが)、大都市圏を中心に緊急事態宣言や蔓延防止等重点措置を何度も出し入れし、飲食店を中心に大打撃を与えます。対して野党も特にこの状況の打開策が提示できるわけでもありません。

政府の機能不全を前に、全体的に白けたムードが流れています。もはや宣言の有無に関係なく、大都市圏ではラッシュアワー時には電車は満員となり、機械的な服従者は、酷暑の中誰もいないところでもマスクを着用し、匿名性をいいことにインターネット上で「自粛警察」を自称する人々が心無い発言を繰り返しています。

失敗からの教訓
1) 国際情勢の正しい理解

国際情勢を正しく理解するとは、どういうことでしょうか?それは、ただ単にニュースを追いかけ、日々の出来事を知るということではありません。その前に、主要な国の性格や思考の癖、特に欲するもの(富や名誉、外国に特定の動きをさせる・させない等)を得るためによく用いる手段や、高/低評価となるような事柄、強み・弱みを理解することが重要です。そして、それらは世界史を学べばかなりの部分は習得できます。(そのため、数回世界史について書いてきましたし、まだまだ続きを書いていきたいと思います。)

例えば、太平洋戦争でアメリカは膨大な物量で日本軍を圧倒しました。この用語はあまり知られていませんが、アメリカはPeople of plenty(たくさんの資源・物資に恵まれた人々)を自認する国民なのです。この物量及び生産力が、アメリカ軍の勝因の第一であり、アメリカの大いなる強みです。

また、日本の敵国用語の禁止とは対照的に、米軍は、日本専門家に協力を仰ぎ、日本人二世を集めた部隊を創設し、日本人捕虜から事情聴取し、日本軍の暗号を解読し、日本人及びその作戦に関する知識を深めました。(その結果生まれた成果物として「菊と刀」が有名です。)さらには太平洋に点在する島々の攻略のため、それまでほとんど目立たなかった海兵隊を強化し、硫黄島等や沖縄戦で大きな功績を上げました。このように、目をそらさず、奢らず、相手を冷静に見定める姿勢、また分析結果に対する柔軟な組織変更が見られます。これは、日本軍が全く戦時中の過誤を何度も正確に繰り返し、アメリカ軍を不思議がらせたことと対照的な動きです。アメリカとは、このような考え方をする国であり、アメリカの大きな強みでもあります。

このように世界史を学ぶことは、国際情勢を理解する上でのバックボーンともいえます。

2) 日本を世界によく知ってもらうこと

日本はなぜか自国を説明しても分かってもらえないほどユニークな国と位置付けたがるようですが、自国を説明することをやめてしまうことはよくありません。理解してもらえるよう、最大限の努力をすべきです。

日本をよく知ってもらうことのメリットの1点目は、外国人からの質問を受け、今まで当然と思っていた日本について改めて考える機会を持つことができます。それは、他者から見た日本やその言動はどう見えるのかを理解することに繋がります。日本国内に籠ってばかりいると、つい独り善がりな考えに陥りがちです。しかし、他者からの視点を学べば、より客観的に自国やその国力を視ることができます。日本社会はすぐに不都合な意見を言う日本人を(往々にして重箱の隅を突くレベルで)批判する癖があり、外国からの眼で色々言ってもらうことも正常であり続けるための、一つの手法のように思います。

2点目のメリットは、日本を知ってもらうことで、日本への不信感を減らすことができます。よく知らない、理解できない相手は、基本的に不気味な存在なのです。例えば、1発目の原爆が投下されたとき、日本政府は「黙殺」しました。アメリカとしては、これで日本が降参することを期待し、かつ世界初の原爆実験場であるトリニティ実験場や1発目で既にその威力を目の当たりにした科学者等は戦慄を覚えていたにも関わらず、1発目の反応がないことがやはり不気味に思え、2発目を投下する口実を与えました。(もちろん、ソ連開戦を阻止したかった背景もありますが)

逆に、知っていたために戦火を回避できた事例もあります。それは京都です。アメリカが原爆投下地について検討していた際、京都は常に筆頭にあがった候補地でした。しかし、大統領を交えた会議の場で必ず却下されていました。却下した人物は、スティムソン陸軍長官でした。そのキャリア上一度も日本との接点がなかった彼が、なぜ都度真っ先に京都を外したのでしょう?ある学者が突き止めたところ、それは京都が彼のハネムーン先だったからでした。

3点目のメリットは、日本人が日本について外国人に説明することにより、コミュニケーション力が磨くことができます。「以心伝心」や「空気を読む」等非言語コミュニケーションの多いハイコンテクスト社会ではなかなか磨くことが難しい、言葉によって説明できる能力は、非常に重要です。しかも、相手にわかるように説明するには、日本のことも、相手の国との違いやその背景等も理解する必要があります。

3) 軍国主義の否定、言論の自由・多様性の堅持

現在軍国主義は否定されていますが、同調圧力が強い社会であることは変わっていません。政界のリーダーシップのなさ、機能不全は痛々しいレベルです。こうした国民の行き詰まり感を軍部は利用し、民主主義の本道から狂気の破滅へと国を引きずり込みました。

やはり民主主義の本道を忘れずに、単一思考に偏らず、自由に意見を言い合い、尊重し合える社会を維持するしかありません。

幸い、今年の終戦の日は日曜日です。本稿が、日中・太平洋戦争から学ぶべき教訓に考える際のご参考になればと思います。個人的には、海の日や山の日等意味不明な祝日を作るくらいなら、終戦の日、被爆日、慰霊の日(沖縄戦終了日)を祝日にし、毎年戦争と平和について国民が考える日としたらいいように思うのですが。。。

 
*毎日新聞「戦後70年:数字は証言する データで見る太平洋戦争(ダイジェスト版)」
https://mainichi.jp/feature/afterwar70/pacificwar/
**井上寿一「日中戦争下の日本」
***ポール・ケネディ「大国の興亡」上巻(古典ですが、名著です)

 

本コラムの執筆者================================

吉川 由紀枝

ライシャワーセンター アジャンクトフェロー

プロフィール:

慶応義塾大学商学部卒業。アンダーセンコンサルティング(現アクセンチュア)東京事務所にて通信・放送業界の顧客管理、請求管理等に関するコンサルティングに従事。

2005年米国コロンビア大学国際関係・公共政策大学院にて修士号取得後、ビジティングリサーチアソシエイト、上級研究員をへて2011年1月より現職。

また、2012-14年に沖縄県知事公室地域安全政策課に招聘され、普天間飛行場移転問題、グローバル人材育成政策立案に携わる。

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※当文章は著者の個人的見解であり、所属団体の意見を反映したものではありません。