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東京IPO特別コラム:「緩衝地帯と地政学」

〜語られないものを視る眼〜


「緩衝地帯と地政学」


「私も持っていないが、相手も持っていない」
世界地図、特にヨーロッパを見ると、とても複雑な国境線が引かれています。実に真っ直ぐな線を見ることはとても珍しいです。大国に挟まれるように小国があるなど、一筋縄ではいかないところから、血塗られた歴史の結果ともいえます。

ところで、明治初期の岩倉使節団は大国に挟まれる小国、「九州程度」のベルギーやオランダに興味を持ちました。こうした国々はどうして生存可能なのか、とても不思議だったのでしょう。真っ当な疑問だと思いますが、読者の皆様は答えられますか?

この使節団の報告書的な書物「米欧回覧実記」の著者は、その答えを勤勉性と市民の協力体制に見出しています。ネーデルランド(現オランダ・ベルギー)がスペイン・ハプスブルク家から独立を勝ち取ったという歴史背景を知ったうえで書かれていますが、ここではもう一歩踏み込んで考えたいと思います。確かに宗主国たるスペイン帝国は自己破産をし、衰退していきましたが、この地域のすぐそばには上り調子のイギリスが、陸続きには大国フランスもあります。なぜこうした国々がスペイン帝国に奪還の見込みがないとみるや、領地拡大に動かなかったのでしょうか?

それは、これらの国々が緩衝国(バッファー)として機能しているからです。すなわち、大国同士が国境を接していると、紛争が起きやすいです。英仏の間で何度も互いの領地を侵略した歴史があります。そこで、イギリスとしてはヨーロッパ大陸に最も近いエリアにフランス軍が集結するということは、イギリスを侵略する意思を疑うのに十分な根拠となります。そしてフランスにとっても状況は同じです。つまり、英仏のいずれかがそのような要地に軍を置くことは紛争に直結します。よって、両国にとり次善な状態は、そんな要地は「イギリスも持っていないが、フランスも持っていない」ことになります。こうした考え方により、大国に挟まれる小国は存続できるのです。

そして、何も英仏間だけの話ではありません。イギリスとドイツとの間でも両国はバッファーとして機能します。実際ドイツが第一次世界大戦でベルギーを侵略した際、イギリスはドイツから宣戦布告を受けていなくても参戦に踏み切りました。別にベルギー人が好きだからではありません。明日のわが身と思うから、参戦したのです。

ちなみに、このバッファーの根底にある、「私も持っていないが、相手も持っていない」という考え方は、政治上では現実解として時折見られます。日本の場合、自民党の派閥政治が華やかなりし頃、総裁選で有力な派閥同士の勢力が拮抗すると、弱小派閥の領袖が総裁となり、首相になることが時折ありました。中曽根首相、小泉首相等が該当しますが、これはライバル派閥の領袖を総裁にさせないための、次善の策なのです。

現代のバッファー地域
核兵器等現代のハイテク兵器類の前に、この考え方は古いと思われるかもしれません。しかし、敵を征服するための最後のとどめは、陸軍です。太平洋戦争時原爆が日本に投下され、戦争終結に繋がったといえども、敵の残余戦力を解体し、無力化するには、やはりマッカーサー元帥始め陸軍が日本に上陸するしかありませんでした。ですから、敵陸軍が要地に自由に出入りできるという状態は、未だに危険なことなのです。

そして、ベルギー、オランダ以外にも現代世界でバッファーとして機能している要地はあります。その一つは、北朝鮮です。北朝鮮は、中国と韓国、より正確には米軍との間のバッファーとして機能しています。

中国にとり、北朝鮮を国際的に擁護しても批判を浴びるだけであり、軍事・経済的支援を行わなければならず、冷戦時代は中ソを天秤にかけるような外交戦略を展開し、中国のいうことを必ずしも聞く同盟国ではありませんし、中国に何一ついいことがないように見えます。しかし、中国には根本的に北朝鮮を欲する理由があります。それは朝鮮半島を全て韓国の領土となれば、その同盟国として米軍が駐留し、中国と直接国境を接することを嫌うから、なのです。

事実軍事専門家の見方では、アメリカが北朝鮮を侵攻した場合、北朝鮮北部の山岳地帯までは快進撃で進み、山岳地帯でアフガンのタリバン同様、ゲリラ戦を展開され、完全に撃退できません。その間に北朝鮮は中国に救援を要請し、中国軍は北朝鮮の現国境を越え、北朝鮮からくる民間の難民の中国流入を阻止しつつ、北朝鮮の存続が可能なように恐らく非公式に側面支援に回ります。朝鮮戦争時も、中国の正規軍ではなく、「義勇軍」が北朝鮮を軍事支援したことになっていますので、戦火拡大防止の目的で非公式な形をとることが予想されます。(よって北朝鮮の国土が1/3程度に減少する程度なので、北朝鮮問題に関し軍事解決はあまり現実味がありません。)

もう一つの例は、台湾です。沖縄県与那国島と台湾は、肉眼で見えるほどの距離にあります。ゆえに、日本とできるだけ友好関係にあり、軍事的脅威を感じさせない政権が実効支配している状態が望ましいのです。

どうにか独立を保っていた明治政府が、借金まみれの琉球を救済する形で編入し、日清戦争後台湾を割譲させたのは、清に持たせたままではいつ列強国に譲渡しかねず、日本の安全保障が危ぶまれるからです。事実、台湾は大航海時代オランダ領で、フォルモサと呼ばれ、鄭成功(別称国姓爺)が取り戻した歴史があります。ですので、明治政府の懸念は的外れではありません。

その後、蒋介石政権が台湾に拠点を移して以降、日本に友好的な島民による実効支配が続き、日本にとり幸せな状態です。しかし、台湾が日本のバッファーであることに変わりはなく、この地への関心を決して失ってはいけないのです、明日のわが身であると肝に銘じて。

これは、ナチス・ドイツ下で反ナチ運動家によるものといわれている詩です。
「ナチスが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった
私は共産主義者ではなかったから

社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、私は声をあげなかった
私は社会民主主義ではなかったから

彼らが労働組合員たちを攻撃したとき、私は声をあげなかった
私は労働組合員ではなかったから

そして、彼らが私を攻撃したとき
私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった」

今年9月のクアッドやオーカス等の発表に続き、翌月欧州議会代表団が台湾を訪問し、バイデン大統領も米国の台湾防衛について言及しています。これに呼応するかのように、蔡英文総統は台湾の「米軍駐留」(と呼ぶには大げさですが、軍事顧問程度)を認め、双十節(中国民国の建国記念日)に「台湾は民主主義を守る最前線にいる」と発言しました。

台湾は香港の状況を注視しています。それが、明日のわが身と思うからです。もちろん、台湾には日本以上に中国への経済的な依存関係はあります。また、欧米の対中包囲網を形成するが如きふるまいにどこまでの本気度が伴うかは、正直未知数であると知っていながら、今の時流に乗るように自らもふるまい、振り回されざるを得ないのも、また事実です。それでもなお「最前線」という言葉の選択には、非常な重み、覚悟が感じられます。日本はどうでしょうか?

地政学的観点
地政学そのものの成り立ちは世界史の回でお話しようと思いますが、最後に地政学的な観点からバッファーについて考えてみたいと思います。

地政学の根幹は、以下の通りです。すなわち、世界にはイギリス、アメリカ等海洋国家(シーパワー)とドイツ、ロシア、中国等の大陸国家(ランドパワー)とがあり、前者は大陸へ、後者は海へと向かう性質を持ちます。結果、必然的に大洋に面した陸地、特に陸に近い島々や半島(リムランド)が両者のせめぎ合いの場となりやすいです。「不安定な弧」とも「自由と繁栄の弧」ともいわれる、アラビア半島からイラク、イラン、インド、インドシナ半島、台湾、朝鮮半島に至るエリアが、典型例です。

そして実に、こうしたエリアでの紛争は頻発します。第二次世界大戦後だけでも、1〜4次中東戦争、朝鮮戦争、国共内戦から金門島の戦い(第二次台湾危機)、印パ戦争、ベトナム戦争、イラン・イラク戦争、湾岸戦争、アフガン戦争、イラク戦争、と枚挙に暇がありません。

さらに、シーパワー的には重要な航路が集中する海峡、すなわち水上の要衝(チョークポイント)を抑えるべしという考え方があり、これにホルムズ海峡、スエズ運河、ボスポラス海峡、ジブラルタル海峡、マラッカ海峡、パナマ運河、台湾海峡、対馬海峡、宗谷海峡等がこれに該当します。そして、往々にしてシーパワー同士、あるいはシーパワーとランドパワーとが激突する地にもなります。

このようなエリア、特にリムランドとチョークポイントが重なるエリアに死活的、あるいは強い政治経済的関心を持つ、いわば(自称他称含め)ステークホルダー国が多すぎるのが混乱や戦いの長期化、拡大の元凶ではありますが、その死活的関心の理由を説明するのに、バッファー機能が大きな要因となります。

このように考えると、日本は安全なようでいて、危険と隣り合わせなところにあり、「平和ボケ」と呑気に言っている場合ではありません。

 

本コラムの執筆者================================

吉川 由紀枝

ライシャワーセンター アジャンクトフェロー

プロフィール:

慶応義塾大学商学部卒業。アンダーセンコンサルティング(現アクセンチュア)東京事務所にて通信・放送業界の顧客管理、請求管理等に関するコンサルティングに従事。

2005年米国コロンビア大学国際関係・公共政策大学院にて修士号取得後、ビジティングリサーチアソシエイト、上級研究員をへて2011年1月より現職。

また、2012-14年に沖縄県知事公室地域安全政策課に招聘され、普天間飛行場移転問題、グローバル人材育成政策立案に携わる。

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※当文章は著者の個人的見解であり、所属団体の意見を反映したものではありません。