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東京IPO特別コラム:「歴史の重み:アメリカの歴史・連邦政府と国土」

〜語られないものを視る眼〜


「歴史の重み:アメリカの歴史・連邦政府と国土」


よくアメリカは歴史の浅い国という表現をしますが、1776年の独立宣言から約250年たっています。時期的には江戸中期の老中水野忠邦による寛政の改革頃ですので、アメリカの歴史を振り返る価値のある長さでしょう。

戦争と買収で広げた国土
独立当時はニューイングランド地方の13州のみでした。ここまではよくご存じのことかと思いますが、目を向けていただきたいのは、現代アメリカ合衆国の国土となっているエリアは独立当時どうなっていたのかです。大まかに言えば、土地の所有権という概念を持たず、好きなところに住み、大地の恵みを享受するシステムに生きていたアメリカン・インディアンが点在していた他、カナダの東側からミシシッピ川を下り現在のルイジアナ州まで縦断する形でフランス領があり、現在のフロリダ州やカリブ海に浮かぶ島々の他、現在のカリフォルニア州等フランス領より東側はスペイン領でした。(その名残で、ルイジアナはフランス国王ルイから、ニューオリンズは国王ルイの弟オルレアン公の名をとってつけられています。)よって、当時国家と呼べるものはアメリカに3か国あったことになります。

この状態から、いかに国土を広げたのでしょうか?方法は2つ、戦争と買収です。以前お話しました通り、アメリカはナポレオンからカナダ以外のアメリカ大陸におけるフランス領(ルイジアナ買収)を、さらにロシア帝国からアラスカ州も購入しています。(こうした歴史を持つ国ですから、トランプ大統領がグリーンランドを買いたいという発言は特別トンデモ発言ではないのです。)一方、スペインから独立したメキシコとは戦争(米墨戦争)し、現在のテキサス州からカリフォルニア州までの一帯を獲得します。メキシコはこの戦争で国土の約1/3を失ったと言われています。

ここで勘違いしていただきたくないのは、アメリカの領土を広げられたから移民が来たわけではありません。最初はイギリスやフランス中心に宗教革命の犠牲者たち(イギリスの場合イギリス国教会ではなくカトリックでありたかった人々や村全体がカトリック/プロテスタントだけど、本人はプロテスタント/カトリックで合わないので、逃げたい人々)が多くいました。(このように宗教を強く意識する人々がヨーロッパから去ったため、宗教への関心はヨーロッパよりアメリカの方が高いと言われています)

土地があるという噂を頼りに、後からドイツ、スイス、スコットランド、アイルランド、さらに遅れて東欧からも移民が増えました。特にアイルランドのジャガイモ飢饉(元々ジャガイモしかあまり育てられない土壌であったところに、ジャガイモが病気にかかり、収穫がほとんどできなかった)による経済難民は有名です。

少し脱線しますが、アメリカは人種のるつぼ(melting pot)という表現が日本では見られますが、アメリカ人はサラダ・ボウルといいます。すなわち、同じ民族や出身地、宗教を共有している人が固まって住んでおり、混ざらないという意味です。例えばニューヨーク市には、チャイナタウン、リトル・イタリー、ロシアン・タウン等がありますが、これらはその証拠です。都市では目に見えない壁的な感覚ですが、郊外の場合塀で囲ったコロニー的な集合住宅群があり、そこには同じような所得層、人種が固まって住んでいます。(ドラマ「セックス・アンド・ザ・シティ」でミランダが同じアパートに入居希望者を他の入居者と一緒に面接をするシーンがありましたね。人種差別を盾に入居拒否ができない昨今、住居コストに加えて、コロニー内の同質性を担保するための、新しいゲートキーパーと言えるでしょう。

不思議なことに、日本人だけはあまりそうした同胞意識が少ないせいか、熱心にジャパン・タウンを作ることもなく、例えばニューヨーク市のハーレムにもアッパーイースト(高級住宅街)にも住んでいます。偏見を持たずにいろんなところに住む意思を持つのはとてもいいことだと思いますが、予算、治安、何も知らずに住むところを決めるよりは、近所はどういうところかを理解した上の方がいいように思います。

さて、これほど多くの移民を引き付けた理由は、アメリカ政府が先着順で内地の土地の所有を登録した人々に安価な価格で土地を与えると言ったからです。これが、アメリカン・ドリームの原型です。これで、ヨーロッパではほとんど土地を持てる見込みのない人々が流れていきました。さらに時代が下るとアジアや中南米からも流入しています。(移民の歴史自体面白いテーマなので、ご興味のある方は調べてみてください)

そして、ある程度登録された人口が増えると、そのエリアは準州とみなされ、さらに一定数に達すると州となりました。これを後押ししたのが、鉄道です。ユニオン・パシフィック鉄道やセントラル・パシフィック鉄道が西へと線路を延ばすにつれ、西部開拓が進んでいきました。(産業の話は後述)

連邦政府
実は独立当時13州を束ねる連邦政府を維持するか否かで論争が起こりました。連邦政府の存続を主張したのが、フェデラリストと言われる人々で、代表格は初代財務長官アレキザンダー・ハミルトン、ジェームズ・マディソン、ジョン・ジェイといった人々です。彼らは「ザ・フェデラリスト」という一連の論文を発表し、連邦政府の存在のメリット、デメリットを挙げた上で、連邦政府の存在がアメリカ全体にとり有利であると主張しました。ここで連邦政府の存在意義について全て語り尽くされていると言われています。(ご興味ある方は岩波文庫で読めます)

中央集権の政府の存在に慣れてしまっている日本人からすると、いまさらな話を一々議論するアメリカ人が不思議に見えるかもしれません。しかし、アメリカという国を理解する上で大事なポイントなので、少しお話したいと思います。

もともと、アメリカはヨーロッパ各地の人々がいきなりやってきて定住し、開拓していったところです。そしていつの間にか数が多いことと小銃を持っていることをいいことに、植民地を作り、州政府を作りました。初期からヨーロッパの裕福な家族(多くは現在名家と言われる)も一部移民してきていますので、彼らが多くの場合町、地区、州単位で統治者的な位置を占めていました。

ですので、州が先にあり、連邦政府が後にできる形です。ですから、独立したことだし、州政府があればそれでいいではないか、従来通り州政府がそれぞれの安全保障や外交交渉をすればよい、という議論があるわけです。それでも今後外国との通商問題、外交や安全保障を考えれば、まとまっていた方が全体にとり有利な場面があるという議論が今一度必要になりました。

議論の良し悪し以上に厄介な問題は、州と連邦政府との関係です。州が先に存在しているということは、既得権益構造が既に確立しているわけで、後発の連邦政府や連邦議会との間の役割(権限)分担の攻防戦が建国以後続いていきます。

結局、連邦政府が様々な名目(今日では農業補助金等)で州へ資金を還流させる代わりに、州の権限への制限をある程度認める形で落ち着くわけですが、何をいつ認めるのかで攻防の歴史が紡がれていきます。

例えば、中央銀行を一度は設置するものの、時限立法に則っており、延長が認められず、空白期間がしばらくありました。(ちなみに、日本はアメリカのこの時代の銀行制度を採用し、渋沢栄一の下国立銀行が誕生しました。)現在の連邦準備制度が定着するのが、1929年の大恐慌後のフランクリン・ルーズベルト政権下です。それでも、やはり遠慮がちで、名目は民間銀行であり、連銀の本店はなく、ニューヨーク支店やシカゴ支店が実質本店として機能しています。

また、ドラマや映画でおなじみのFBI(連邦捜査局)も、誕生は20世紀に入った1935年からで、州をまたがる犯罪やテロ等を担当しています。(よく映画やドラマでFBI捜査官と州警察官が仲悪そうにしてますね?)当時リンドバーグ事件(大西洋無着陸横断飛行を成功させたリンドバーグ氏の息子が誘拐、殺害された事件)があり、有名人の子供が対象であっただけに世間の注目を集め、州をまたいだ捜査ができなかった反省から州をまたいだ犯罪はFBIが担当するよう法改正が行われたのでした。

他にも時々ニュースで顔を出すのが、州知事や州議会による、大統領選や連邦議員の補充時への介入でしょうか。2020年の大統領選挙後にもお話しましたが、大統領選では各州に選挙人が割り当てられており、その選挙人を決めるのは州政府ということになっており、国民の選択(投票結果)が一定期日まで不明瞭な場合、州議会が選挙結果如何に関わらず、選挙人を選定できることになっています。また、連邦議会の議員が何らかの理由で欠員が出ると、州によっては補欠選挙ではなく、州知事や州議会が指名するものと定めているところがあります。

これらの権限喪失/獲得時期の遅さ/早さは全て、連邦政府からできるだけ権限を奪われまい、できるだけ連邦政府への影響力を持とうとする、州政府側とそうさせまいとする連邦政府との火花の散った痕跡です。人々の権力への執念が感じられるのではないでしょうか。

この他、連邦議会による法律の順守を州が拒む、抵抗するケースもよく見られます。(後述の公民権運動等でまた触れます)

 

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※当文章は著者の個人的見解であり、所属団体の意見を反映したものではありません。