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東京IPO特別コラム:「歴史の重み:アメリカの歴史・南北戦争」

〜語られないものを視る眼〜


「歴史の重み:アメリカの歴史・南北戦争」


奴隷制
実は建国の父たちの英知を以てしても13州全ての同意を得ることが難しく、後世への宿題として残した課題が一つありました。それが、奴隷制です。当時の13州には奴隷制を認める州(南部)と認めない州(北部)とがあり、認めないとすれば南部が拒否しかねない状態でした。建国の父たち自身も奴隷を抱えていたこともあり、連邦政府として奴隷制を容認するという暗黙の約束の下、南部州も連邦政府に加盟することで合意しました。

さて奴隷と一口に言っても、文化によって奴隷に与えられる仕事や社会的に容認される待遇は様々です。ご興味のある方は調べてみていただくとして、ここではアメリカの話に限定しましょう。

建国から約100年たつ頃には、奴隷に関する見方が変わってきました。一つは、当時の覇権国、大英帝国内で奴隷を必要とするエリアがほぼ皆無となったことです。(アメリカは独立して外国です)正確にはカリブ海に点在する英領の島々での砂糖プランテーションに黒人奴隷を使っていたのですが、英国本国内で政治的発言権がほとんどなかったため、大英帝国が奴隷貿易禁止を打ち出しました。

もちろん、最初は人道的な見地から、現代でいえばNGO的な動きで始まったものですが、政治アジェンダに乗せられると、動機は歪められていきます。すなわち、奴隷貿易を禁止することで利益を得ているヨーロッパのライバル国を、「高度な文明」を自負する人々には逆らいづらい人道的観点から攻撃し、より不利な状態に貶め、自国をより有利することができます。そのため、積極的にイギリス海軍は奴隷貿易に従事している奴隷船の拿捕に動きました。

この発想は、言い方を変えれば、彼我との差を拡大しようとする場合、自分が相手よりも背伸びする以外に、相手を現状より下げるという手段もあるということです。この発想は、国際政治を見ていくと、よく見られます。現代でいえば、軍縮が挙げられます。現代アメリカが軍縮というときは、往々にしてアメリカはそれ以上の軍事技術、兵器を開発できたけれども他国はまだその技術に依存しているという場合で、その技術を「軍縮」により他国へ制限をかけることにより、彼我の差を拡大・維持しようとする意図が隠されています。(アメリカがその制限を受けても、元々廃棄予定だから影響はありません。)

話を戻して、アメリカ国内でも、人道的立場から奴隷制に反対する声が出てきます。サトウ夫人著「アンクル・サムの小屋」を始めとする文学も登場しました。そして、だんだんとアメリカの政治アジェンダにも乗せられるようになりました。(ここでも、上記の大英帝国の手法を北部が使ったのではないかと疑惑がありますが、今のところ著者が知る限りそのような文献に出会っていません。また、南部と経済基盤があまりに異なる北部が南部をそこまで不利な状態にしたい理由が思い当たりません。)

少し脱線しますが、黒人奴隷は南部での綿花栽培を中心に従事したと言われますが、北部の話は出てきませんね。北部には奴隷は必要なかったのでしょうか?確かに奴隷はいませんでした。その代わりに苦力(クーリー)がいました。彼らは中国を中心にアジアから大量輸入され、鉄道敷設工事を中心に従事していました。(日本人でも日露戦争時に戦費調達に奔走し、後に首相にまでなった高橋是清も若かりし頃騙されて苦力になった経験がありました。)ですので、アメリカ最大のチャイナタウンはアジアに近い西海岸ではなく、東海岸のニューヨークにあります。(最古は西海岸のサンフランシスコですが)

クーリーも奴隷も肉体的な重労働に強制的に従事させられたのですが、違いは人間の完全所有か否かと契約期間の有無です。黒人にとり不幸であったことは、彼らの肉体的頑丈さでしょうか。元々アメリカに近い南米のインディオたちを奴隷に連れてきたのですが、高原出身の彼らには南部の日が強く照り付ける環境での重労働にひとたまりもなく死んでしまいました。結局暑いところ出身の奴隷が求められ、アフリカから大西洋をはるばる超えて連れてこられました。(おそらく同様の理由でアジア人よりアフリカ人の方が、適合性が高そうと判断されたでしょう)

クーリーが廃止になった理由の大部分は、恐らくアメリカの大陸横断鉄道がほぼ終盤に入り、機械化が進んでいったことが大きな要因でしょう。それでも、きっかけは必要です。それを作ったのが、開国直後の日本です。横浜港に寄港していた、マカオから苦力を満載したペルー籍の船から清国人が逃げ出し、日本に庇護を求めました。明治新政府も内部で苦慮したようですが、人道的立場から清国人解放に踏み切りました。当然裁判となり、日本の勝訴となりました。(マリア・ルース号事件)

但し、この事件にはおまけがついています。裁判中に船側の弁護士から日本が一方的に苦力を批判するのはおかしい、日本でも同様の立場にいる遊女を容認しているではないか、と指摘されたことを契機に、遊女の人身売買を制約する娼妓解放令が明治5年に発令されました。同法令はあまり機能しなかったという批判もあるにはありますが、世の中は、少しずついい方向に向かっています。

南北戦争
さて、オバマ大統領が就任前に読んだ本として話題になったのが、リンカーン大統領の伝記*です。党は共和党と相反しますが、同じイリノイ州から中央政治に打って出たところも一緒なら、元々大統領候補として真っ先に見込まれた人ではなく、二番手としての地位をしっかり築き、一番手に何かあればすぐに取って代われるよう抜け目なく状況を見定め、いつの間にか党の指名を勝ち取った候補である点も一緒でした。こうした類似点の他、何よりも尊敬される歴代大統領の一人ですから、当然でしょう。

しかし、リンカーン大統領の真似をするのは非常に難しいです。党指名前には一番手と目されていた大物を何と4人も自分の閣僚に指名しました。「チーム・オブ・ライバルズ」が伝記のタイトルにだけのことはあります。まともにいけばまとまるはずのない集団のように思えるのですが、1人以外は大統領への忠誠心を持って皆仕えたといいますから、カリスマ性のある人物であったことは確かです。(オバマ大統領もこれに倣って、最大のライバルであったヒラリー・クリントン元候補を最重要な閣僚(国務長官)に据え、共和党のゲイツ国防長官を留任させました。)

この伝記に依拠すると、このような人事を行ったのは、リンカーン大統領選出のニュースを受け、南部が就任前に連邦からの離脱を発表したので、この国難を乗り切るには、当代最高の人物を据えねばならないという結論からでした。信念の人といえると思いますが、時流が彼の考えや思惑についてくるまでずっと待ち、いい頃合いと判断するや、即行動に移すタイプの人物でした。

実際、いわゆる奴隷解放宣言を発するのも、南北戦争で北部の勝利が見えた頃合いを見計らいました。それまでは、南部に同情的で日和見的な州を南部に押しやるリスクを危惧し、また南部を連邦に戻りやすくするためと考えていたのですが、戦場の趨勢を見極めた上で宣言しました。また、宣言後即黒人を北部兵に採用することに抵抗がある空気が強い間は時節を待ち、北部の軍事力増強に黒人を北部兵に採用することもやむなしという空気が出てくるや、即座に黒人を兵士に採用しました。

ここで興味深いのは、リンカーン大統領は建国の父たちの宿題を果たすことには強い意志を持っていましたが、南北戦争後黒人たちをアフリカに返す案を検討していたということです。大統領自身、北部の有力黒人グループと面談を重ね、彼らがアメリカに留まりたいという意思を知り、廃案となりました。(実際には、リンカーン大統領の少し前のモンロー大統領が支援し、アメリカの解放奴隷たちがアフリカ西海岸にわたり、強引に現地住民から土地を買収(収奪?)し、彼らの国リベリアを建国していました。アフリカでプチ・アメリカ建国の逆輸入といったところですが、このような歴史の繰り返しは哀しいものです)

もう一つ興味深い点は、南北戦争で勝利への戦略を立案し、指導したのは、リンカーン大統領自身であったことです。参謀や将軍たちは戦争全体の展望を見据えて動くということはなく、自身の考えに基づいて動いたり、動かなかったりした挙句、事態が膠着になり、ようやくリンカーン大統領の指示で動くというのが真相でした。(最初に任命した将軍が陸軍士官学校で好成績の名家の出で当初人気が高かったため、リンカーン大統領は、例によって更迭せずに適任でないことを周囲が納得するまで待ってしまった側面も否めないのですが)

彼の建てた戦略とは、北部は南部よりも鉄道が発達しており、人数も多いので、大量の軍を投入できるのであるから、一か所での決戦に持ち込むのではなく、南部の複数のエリアへ派遣することで翻弄させ、勝利に導くというものでした。これが、北部が南部に勝利した理由です。

ここで、アメリカの歴史家であり戦略家のギャディス教授のリンカーン評**を引用しましょう。




「リンカーンはスケール、空間、時間を操る稀に見る名手であり、そこから常識を導き出すことができた。スケールは自己の経験が生じる範囲を定めるものさしであり、ある種の尺度である。進化においてはカオスの境界が適応に成果をもたらし、歴史においては適応が精神的強靭さをもたらし、個人においては精神的強靭さが硬直性を防ぎ、未知への順応を容易にする。そう考えれば、境界を徐々に押し広げることによって、リーダーは予期せぬ事態への備えができるようになるはずだ。
(中略)
彼は連邦を復活させるべく、戦争で巧みに空間を使う。定石を無視し、地図を熟読し、持ち合わせている能力を緻密に計算した。
(中略)
リンカーンはつねに時間を味方に付けていた。彼は待つとき、行動すべきときをわきまえ、どうなればもう大丈夫かを知っていた。」




ポスト・リンカーンの人種差別
さて、南北戦争も無事勝利した直後リンカーン大統領は暗殺された、というところで話がよく終わります。しかし、アメリカの人種差別の現状を理解する上で、この先が重要です。大統領が不在となると、自動的に副大統領が大統領に就任します。リンカーン大統領が南部との融和を願って南部出身の上院議員を選んだのですが、この後継ジョンソン大統領は、旧南部指導者のほとんどへ財産を返還し、権力に返り咲くことを許しました。その結果、旧白人支配層は各州で黒人取締法を制定し、「黒人の土地所有を禁止、制限し、雇用されていなかったり、定住していない黒人を浮浪者として取り締まる」もので、「奴隷法とさほど変わらなかった」***のです。そのため、旧奴隷たちの待遇改善は、さらに約100年下った1950年代の公民権運動まで待たねばなりません。

一方、足掛け4年も戦ったのに、こんな結果で北部はよかったのでしょうか?北部が南部と戦った理由は、黒人の奴隷解放が目的ではありません。南部が連邦を離脱したから、戦ったのです。それ以上でも、以下でもありませんでした。


*ドリス・グッドウィン著「チーム・オブ・ライバルズ」(かなりの大著です)
**ジョン・ルイス・ギャディス著「大戦略論」
***野村達朗編著「アメリカ合衆国の歴史」

 

本コラムの執筆者================================

吉川 由紀枝

ライシャワーセンター アジャンクトフェロー

プロフィール:

慶応義塾大学商学部卒業。アンダーセンコンサルティング(現アクセンチュア)東京事務所にて通信・放送業界の顧客管理、請求管理等に関するコンサルティングに従事。

2005年米国コロンビア大学国際関係・公共政策大学院にて修士号取得後、ビジティングリサーチアソシエイト、上級研究員をへて2011年1月より現職。

また、2012-14年に沖縄県知事公室地域安全政策課に招聘され、普天間飛行場移転問題、グローバル人材育成政策立案に携わる。



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※当文章は著者の個人的見解であり、所属団体の意見を反映したものではありません。