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東京IPO特別コラム:「沖縄返還50周年:間違いだらけの沖縄虚像」

〜語られないものを視る眼〜


沖縄返還50周年:間違いだらけの沖縄虚像


 

50年前の5月15日に沖縄がアメリカから返還されたことから、この50年間を振り返る記事や特集が組まれています。著者も以前沖縄県庁で基地問題に関わっていたことがあり、普段語られないことをピックアップしてみたいと思います。

 

沖縄から見える「日米同盟」:米軍基地の主たち

米軍基地の近くに住んでいないと、「日米同盟」は非常に抽象的な概念になりがちで、どのような軍種がどのくらい日本の防衛や周辺有事対応に必要なのか、という議論はまず聞かれません。(駐在できる米兵数に上限が設けられているわけではありませんし、駐在人数を決めるのは米軍なので、突っ込まれても「専門家」は言葉に窮します。そのため、米軍が必要なのだといえば、日本政府やお抱えの「専門家」たちは米軍の主張をそのまま、あるいはさらに誇張することになります)

 

しかし、沖縄本島に住めば、「日米同盟」は、米軍基地や米兵の形という、非常に具体的な形を取り、日々の動きも観察できる対象です。そこには、米軍4種(陸軍、海軍、空軍、海兵隊)がそれぞれ拠点を持っていますが、中でもプレゼンスが大きいのは海兵隊と空軍です。

誤解を招きやすいですが、海兵隊は、海軍が敵地に着いたら、最初に上陸し敵兵と戦う海軍付属陸軍です。過去太平洋等島嶼群を攻略する際に重宝し、海軍の一部ながら1軍種にカウントされるほどになりました。但し、米軍内では省を持てるほどの規模ではなく、組織上海軍省の一部という位置づけです。

 

米海兵隊の海外拠点は沖縄のみです。ところが、1945年から数年にわたり大規模な台風が沖縄を襲ったため、海軍は早々に沖縄から拠点を本州等へ移してしまい、移動手段を海軍に依存している海兵隊だけが取り残されているという不思議な状態が続いています。

 

よって、有事には大部分が佐世保から米海軍の迎えを待つことになります。それでは海兵隊が現在掲げている「即応」部隊の看板が泣いてしまうので、自ら移動手段を持ちたいと、一部の即応部隊の運搬用に、普天間飛行場にオスプレイ(飛行機とヘリコプターを組み合わせた乗り物)等を有しています。

 

海兵隊の基本要素は、兵士、装備、移動手段の3点セットであり、沖縄にある基地も、那覇の傍にある倉庫群(キャンプ・キンザー)、兵舎(キャンプ・シュワブ)、飛行場(普天間飛行場)と日々の演習を行う演習場(北部演習場等)とに大別でき、キャンプ・シュワブに海兵隊司令部があります。これらが、那覇の少し北から斜めに本島横断するような形で数珠つなぎ的に存在しています。(点在ではありません。)

 

一方の空軍は、嘉手納(カデナ)空軍基地であり、東アジア最大の米軍空軍基地です。空軍はいくつも基地が分かれているということはなく、武器庫を傍らに擁した巨大な1つの基地で、3市町(沖縄市、嘉手納町、北谷(ちゃたん)町)にまたがります。中に入れば、メインストリートが5車線もあり、約3.7キロの滑走路が2本、おまけに18ホールのゴルフコースがあります。海兵隊基地もそうですが、狭い日本の国土にアメリカ並みのぜいたくな土地の使い方をしています。

 

そして、これらの基地はただ存在するわけではなく、日々活動しています。兵士たちは兵舎を出て演習場で訓練したり、飛行場で飛行訓練したり、それも昼間だけの時もあれば夜間の場合もあります。さらに、朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争、アフガニスタン派兵、イラク戦争等、1945年以降アメリカは様々な戦争をしています。その都度嘉手納基地は不夜城と化し、無数の輸送機、航空機が爆音とともに離発着するのを、住民は目撃・体験しています。一方、それほど忙しくならないのはどの基地かも、住民は目撃・体験しています。

 

このように、アメリカの行う戦争中「在日米軍」、「在沖米軍」が活躍していると一括りにされてしまいがちな議論も、沖縄ではより具体的にどの軍種が貢献しているかがよく見えています。

 

そして、アメリカの軍事専門家も普天間飛行場移設問題でメディアが騒ぐたびに最初に心配するのは、嘉手納空軍基地に飛び火しないかなのです。当の空軍兵士も同様に感じているようで、普天間飛行場へのオスプレイ配備で沖縄が猛反発した頃、空軍兵士もNOオスプレイと書かれたTシャツを結構着ていたと聞いています。

 

沖縄の現実主義

そんな嘉手納基地に対し、住民が起こす裁判は騒音に関してなのです。業務上必要だから行っているとはいえ、夜間訓練はやはり「うるさい」と言っています。一方、普天間飛行場は「出ていってほしい」と言います。もっと言えば、北部訓練場のように「やんばる」(山林が多い地帯)は未開発地ですので、賃貸料をもらった方が得であるため、そこに対する返還要求は大きくはありません。

 

このように、観察対象を個別に見て、現実的に対応しているのが実情で、すべての米軍基地に出ていってほしいと、すべての沖縄県民が言っているわけではありません。(これも、よく聞く勘違いの一つですし、抽象論のレベルで話をしようとして返り討ちに遭い、沖縄の方と話したくないという「専門家」もいます。)

 

但し、米兵があまりに酷い罪を犯したり、事故後の処理で米軍内警察が治外法権的なふるまいをすると、県民の世論はその方向に行く可能性は常にあります。一人ひとりの米兵が沖縄に駐在するのは2,3年でも、沖縄の人々は過去にどのような事件・事故があったかを語り継いでいますので、必ず過去の事件を想起し、「またか、いつまで続ける気か?」と問わずにはいられないからです。つまり、反基地のマグマは多くの県民にあります。噴火するかしないかは、米兵一人ひとりの心がけ次第と言えます。

 

そうはいっても、沖縄は基地経済で回っているのではないか?という議論もよく聞きます。米軍が落とす金額という意味では、昔ほどではありません。1ドルが360円もした時代ならいざ知らず、現在ドルの価値は1/3以下です。ベトナム戦争時明日の命も分からない、翌日ベトナムに行く予定の米兵がそれまでの給料を全て沖縄内のバー等で使い果たしたため、ドル札が舞い踊ったと言われる基地周辺の繁華街も、今や大分シャッター街です。

 

まだ日本政府が沖縄に回す各種交付金の方が大きいですが、やはりこちらも特別配分されているわけでもありません。小泉・安倍首相時代に叫ばれた、地域経済支援金と基地駐留をリンクさせるロジックは、一見尤もらしく聞こえますが、中央と地方政府はそもそも全てギブ・アンド・テイクの関係ではありません。中央政府は日本全体の経済発展のかじ取りを担っている関係上、沖縄経済発展のための交付金を中央政府のいうことを全て聞かなれば払わなくてよいということにはなりません。そして、こうした強権的なロジックを振りかざせば、沖縄の人々の心はますます離れていきます。

 

人間関係構築に近道なし

さて、マグマを抱えつつ現実的な眼も持つ沖縄をきちんと理解していないのは、何も遠く離れた「専門家」だけではありません。現地の米軍の多くもそうです。英語版を持つ地元新聞が書き立てる米軍への反感や怒りに、怯えてしまい基地の外には一歩も出ようとしない米兵の配偶者もいれば、任期を事件なく無事に終えたい一心で、基地外飲酒禁止を一律に命じる司令官もいます。

 

しかし、すべての米軍が近隣住民と全く話をしないのかというと、そういうわけでもありません。要は、両者の関係をできるだけ良好なものにしようと日々奮闘してくれる仲介人、リエゾン・オフィサー(現地採用)の有無でかなり変わります。(もちろん、中には沖縄市民を敵に回すほど自分の手柄と勘違いしている不心得者もいますが)

 

こうしたリエゾンの方々は、日々町や区の顔役的なところに御用聞きのように行っては米軍関連で困ったことがないかを確認しています。例えば、基地外に住む米兵が日本式のゴミ分別(アメリカにはそれほど分別意識がありません)ができていないといえば、そこの米兵にゴミ分別の必要性とそのやり方を教えます。地元から英語を勉強する場が欲しいといえば、勤務時間外のボランティアを募って米兵が地元の中高生に英語を教えます。他にも土日に米兵からボランティアを募り、地元住民と一緒にビーチ清掃をし、清掃後懇親会を企画します。

 

このように日々米軍フェンスを越えたコミュニケーションが取れたら、例え事件があってもあまり大事にはなりません。事前にどのように米軍が謝罪すればよいかを打ち合わせることができますし、地元紙記者からの過剰な攻撃からも守ってくれます。

 

しかし、このようなリエゾンの方がいないと、基地を抱えている市町村の担当職員はリエゾンの方の名前を知らず、夜間訓練をしようものなら、市民からの苦情ファックス5000通をそのまま基地の代表番号へ転送することになります。そして受け側もどうしたらいいものやらと、基地内で悩み、悶々としたり、一切の情報開示要求には応じないと突っ張ってみたりという、不幸なミスコミュニケーションが生まれます。

 

復帰後50年間、多くの不幸はありましたが、ミスコミュニケーションが負う部分も多々あったでしょう。カネで買えるものではありません。恐ろしく高くつきますし、すぐに裏切りが発生します。人間関係構築に近道はありません。きちんと向き合って話すしかないのです。

 




本コラムの執筆者

吉川 由紀枝 ライシャワーセンター アジャンクトフェロー

慶応義塾大学商学部卒業。アンダーセンコンサルティング(現アクセンチュア)東京事務所にて通信・放送業界の顧客管理、請求管理等に関するコンサルティングに従事。2005年米国コロンビア大学国際関係・公共政策大学院にて修士号取得後、ビジティングリサーチアソシエイト、上級研究員をへて2011年1月より現職。また、2012-14年に沖縄県知事公室地域安全政策課に招聘され、普天間飛行場移転問題、グローバル人材育成政策立案に携わる。

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