米サウジ原子力協定の茶番劇
今年7月22日、アメリカとサウジアラビアとの間で原子力協定が合意されましたが、その翌日この協定は、サウジアラビアがイスラエルとの国交正常化を前提とするという声明を出しました。事実上の無効宣言です。いったい、何があったのでしょう?
元々サウジアラビアは、巨大産油国ながら、ポスト石油時代を念頭に、原子力発電に興味を前々から持ち、アメリカに原子力技術協力を打診し続けていました。基本的に両国間は良好な関係ではありますが、最近歪みが生じてきていました。
一つは、ウクライナ戦争やイラン戦争等の外部要因により、アメリカが石油増産を依頼しますが、サウジアラビアはポスト石油時代を見据えているので、今さら現状の産油設備に大幅投資して増産しようとは思いません。むしろ、世界需要が下がる分、石油高騰を享受したいと思っていますので、あまり積極的に応じません。
もう一つは、イラン戦争中にイランからサウジアラビアへの攻撃がありましたが、これに対し、米軍は防衛しませんでした。サウジアラビア内に米軍基地を抱えていますから、イランには、攻撃する充分な理由があります。そのため、サウジアラビアはアメリカ政府に対し、サウジアラビア領空をイラン戦争に使用することを禁じ、米軍は一部の作戦を断念せざるを得ませんでした。*
そうした状況下だっただけに、米サウジ原子力協定は、サウジアラビアへの好意の印という印象を世界に与えたのでした。この協定には、原発や周辺施設の建設をアメリカ企業(ウェスティンぐハウス社)から調達することになっていますので、トランプ大統領が気に入るようなアメリカへの投資(意訳すれば、アメリカ政界への影響力の購入)の意味合いが、にじんでいます。**
しかし、以前アラブ首長国連邦(UAE)と同様の協定を結んだ際に義務化されていた、国際原子力機関(IAEA)査察がないなど、明らかに欠陥があり、直ちに米議会やイスラエルの懸念を掻き立てました。特にイスラエルは、中東地域の唯一の核保有国です(公式に認められていませんが)。イランの核保有リスクを事実上潰したばかりなのに、また新しい候補が出現されてはたまりません。現サウジアラビア国王や皇太子が親米であるとはいえ、いつその立場が覆るか分かりません。事実、パーレビ国王親政下では、イランとイスラエルは友好国でしたが、イラン革命により、一転敵対国になりました。
こうした非難を前に(?)、トランプ大統領は、Xでイスラエルとの国交正常化が前提だと書き込んだのでした。これに対し、サウジアラビア側はノーコメントとしています。
トランプ大統領が締結時には言わなかった、イスラエルとの国交正常化が前提とは、何でしょう?サウジアラビアは、アラブの盟主を自認しています。そのため、パレスチナで行われている、イスラエルでのパレスチナ人虐殺や都市破壊行為などの人道的犯罪に対し、少なくとも表向きは反対せざるを得ません。サウジアラビア皇太子は改革派であるにしても、まだサウジアラビア国内には同情している保守派もおり、彼らを簡単に無視できない国内事情があります。こうした背景を踏まえれば、トランプ大統領がイスラエルとの国交正常化を前提条件に持ち出したのは、事実上破棄すると言うに等しい行為なのです。
そこで、トランプ大統領は、サウジアラビアの機嫌をとろうとしたものの、イスラエルからの反対に遭い、翻意せざるを得なかったというのが、一般的な見方でしょう。
実は核不拡散のための一芝居?
この一連の動きを見ると、不自然な点が気になります。もし本当にトランプ大統領がサウジアラビアと原子力協定を結ぶ気なら、なぜIAEA査察を条件に入れなかったでしょう?なぜ一番に起こるであろう、イスラエルの反発を予見できなかったのでしょう?ネタニヤフ政権は、国会解散の危機を乗り越え、予定通り今年10月に実施することが決まりましたので、ネタニヤフ首相はまだしばらく健在です。イスラエルが総選挙で忙殺されている間隙を縫う、というシナリオは描けません。
ここで、ちょっと視線をサウジアラビアに向けてみましょう。サウジアラビアがことさらアメリカ政界の歓心を買いたいのは、イラン戦争後のイランが、今度こそ核保有を目指すに違いないという確信があるからです。(純粋に原発が欲しいだけなら、アメリカの他でもロシア、中国、フランス、韓国等、いくらでも買える相手はいます。)
それは、なぜ北朝鮮は攻撃されず、イランだけが攻撃されるのか?という問いに、核兵器の有無の差だと言わざるを得ないからです。そのため、イランは核保有を目指すはずだ、とサウジアラビアが考えてもおかしくはありません。そして、イランが核兵器をもったあかつきには、サウジアラビアも早急に追随すると、サウジアラビア皇太子は過去に断言しています。**
サウジアラビアが持つなら、トルコも持つとなり、それならエジプトも。。。と核競争が生まれかねません。既にトルコとエジプトは、ロシアと原子力協定を結び、IAEA査察を受け入れています。***
そうならないように、アメリカがサウジアラビアと一芝居打ったとみる方が、自然のように考えます。ただ、サウジアラビア皇太子が訪米して成果なし、となると皇太子一人が批判の的になり、世界は注目しません。そこで、皇太子は頑張った、しかし、アメリカが情けなくもイスラエルに屈したという形にして、サウジアラビア国内でも、今は時期尚早だと納得してもらい、かつ浮足立ちそうな核兵器への意欲国に対し、冷や水を浴びせることを狙ったのではないでしょうか?
そう考えれば、トランプ大統領が破棄するつもりなのだから、しっかり省庁間で調整する必要もなく、すぐに世界が注目するような協定を締結すると言い、その翌日イスラエルのせいにしてあっさり撤回したことが、しっくりきます。
もちろん、皇太子が同意するためには、トランプ大統領がしっかり米イスラエルによるイラン核施設の破壊状況を説明し、何十年もイランが核兵器を持つことは不可能と保証したのでしょう。報道では、必ずしもイランの原子力施設は完全破壊されているわけではありませんが、****未公開情報を共有したのかもしれません。
漁夫の利も狙いたい?
さて、ここで筆をおいてもいいのですが、もうちょっと考えを進めてみましょう。なぜそもそもアメリカは、イランからの攻撃からサウジアラビアを守ろうとしないのでしょう?サウジアラビアは、アメリカにとり最重要な武器輸出先の一つです。
加えて、この原子力協定破棄で喜ぶ国が、イスラエルの他にもう一つあります。それは、イランです。中国の仲介で国交復活させたものの、両国は互いをライバル視しています。そのため、サウジアラビアに対する核・原子力技術アクセス拒否は、ある意味イランをも利することになります。
ここに、ヒントになりそうな事件が、最近ありました。親イランのフーシ派が、紅海にあるバブ・エル・マンデブ海峡を封鎖し、サウジアラビア籍の船舶2隻が攻撃されました。*****
結局のところ、イランとサウジアラビアの関係を悪化させ、両国間を通常兵器で戦わせ、双方の力を削ぎたい、ということかもしれません。
* “How the Iran War Ignited a Clash Between Trump and the Saudi Crown Prince”, NY Times, July 1, 2026.
https://www.nytimes.com/2026/07/01/us/politics/trump-saudi-crown-prince-iran.html
** “Coveted U.S. Nuclear Deal Is a Coup for Saudi Crown Prince”, NY Times, July 22, 2026.
https://www.nytimes.com/2026/07/22/world/middleeast/us-saudi-arabia-nuclear-deal.html
*** “Saudi-US nuclear deal sparks fear of arms race across the Middle East”, CNN, July 23, 2026.
https://edition.cnn.com/2026/07/23/middleeast/saudi-us-nuclear-deal-arms-race-intl
**** “Satellite images show damage inside Iran’s Bushehr nuclear power plant”, Al Jazeera, July 17, 2026
https://www.aljazeera.com/news/2026/7/17/satellite-images-show-damage-inside-irans-bushehr-nuclear-power-plant
***** 「【解説】 フーシ派による攻撃、中東紛争の拡大と世界経済へのさらなる打撃への懸念を高める」BBC日本版、2026年7月24日
吉川 由紀枝 ライシャワーセンター アジャンクト・フェロー
慶応義塾大学商学部卒業。アンダーセンコンサルティング(現アクセンチュア)東京事務
所にて通信・放送業界の顧客管理、請求管理等に関するコンサルティングに従事。2005年
米国コロンビア大学国際関係・公共政策大学院にて修士号取得後、ライシャワーセンター
にて上級研究員をへて2011年1月より現職。また、2012-14年に沖縄県知事公室地域安
全政策課に招聘され、普天間飛行場移転問題、グローバル人材育成政策立案に携わる。
